臓器移植法
今日は衆議院で「臓器移植法」が可決されたそうですね。「A案」というのが可決されたそうですが、どの案にしても、大きな問題は人の「死」というものですね。
「脳死」が人の死なのか?「心臓の死」人の死なのか?そういう医学的なことは置いておいて、宗教家らしく人の「魂」がどうなると人の死と言えるのだろか?このことをまず定義してしまわないと解決は本当に難しいでしょう。
人の「魂」が、脳にあるとか、心臓にあるとか、そういう意味合いがあって、脳死と心臓死のどちらを人の死とするか?宗教家でもいろいろ論争があるわけですね。
私の宗教的な勉強や修行から考えると、人の魂は「脳から心臓の範囲に繋がって存在している」と思われます。脳か心臓かではなく、脳と心臓の二連星で魂は存在していて、脳と心臓とで完全に繋がっているわけです。
丸い点のようなものではなく、変幻自在の霊体と考えて良いでしょう。だから、どちらか片方が生きていれば、生きていると言うしかないと思うのです。
しかし、実際には、脳や心臓が動いていても死んでいる場合があります。ここが実際の難しいところです。
魂が肉体から離れた時点を持って「死」とするならば、肉体がまだ生きているのに、魂はもすでに抜けているという場合があります。霊能者から見ると、その人は死んでいて、どんな処置を施しても、肉体もすぐに死体になってしまう可能性が非常に高くなっているわけですね。極まれに蘇生する時もありますが・・・。
逆に、魂は抜けていないのに、肉体はもう死んでいる場合もあります。死のショックで魂が気絶しているわけです。こういう場合は誰か霊能者か死者のゆかりの霊が、その肉体から魂を抜いてあげないといけません。
だから、人の死を扱う場合は非常に難しいわけですね。誰か本当に高名で権威のある宗教家が公式に見解を出して欲しいものです。ちょっと結論が出ませんね。
それと、脳死を人の死とした場合、現在の科学では脳死でも、未来の科学ではまだ脳は生きている可能性があります。私は、脳の心臓に繋がって魂があると思っていますから、脳も心臓も同時に死ぬと考えてます。
しかし、生命エネルギーの関係で心臓が若干遅く停止すると思います。死ぬと一度霊的な生命エネルギーが心臓に集まって来ますから若干心停止が遅れるのかも知れません。しかし、この心臓にエネルギーが集まっている段階で蘇生する場合もあります。(これ、私の臨死体験です。一度心臓が止まった時に、自分の死をずーと観察していたのですね。いつ魂が抜けるのか?ヨーガで止息の訓練をしていますから慣れがあったわけです。)
難しいでしょう。人間、すぐに死んだりしないんです。どんなことがあろうが、生き延びるチャンスが万に一つの可能性でもあれば生き延びようとします。それだけ、生に対する執着が強いのです。それほど生きるということは大切なことでもあると魂自身が思っているわけですね。
しかし、臓器移植でしか助かる見込みのない人たちには、これでは何の解決にもなっていませんね。
はっきり言って、慈悲にすがるしかないです。臓器を提供してくださる人の慈悲にすがるしかないです。臓器を提供する行為は、大変な功徳で、これ以上ない功徳ですね。その功徳を積みたい人の意志を生前に伺っておくしかないでしょう。
私は、日本での臓器移植だけを認める法だけで良かったのではないかと思います。人の生死は個々人の思想からの判断に任せるしかないのではないでしょうか。唯物思想の人もいるわけですから。
さて、参議院の審議はどうなるのでしょうか?
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